脱臭事業を始めたきっかけ その3

そのように焼肉店に納入した脱臭装置が世の中を騒がすようになった時に、(財)新産業創造研究機構、通称NIROという技術財団の島田部長さんより、阪神淡路震災復興機構、通称HEROという震災後の産業復興機構があるので、一度そこでこの脱臭システムをプレゼンをしてみないかと声をかけていただいたのです。
実は、お恥ずかしいお話しなのですが、「えっ!プレゼンって何したらええのん?」とプレゼンなんてどうすればいいのか、まったくわかりませんでした。
それならということで、「プレゼンのやり方講習」にも通いまして、当時は一般的にはあまり使われてなかった「Power Point」でのプレゼンを一から教えていただきました。
最初は、「君の文章は、説明的で論理的でない!」と余計に訳の分からないことを言われ、その帰りに本屋に寄って「論理的な文章の書き方」という本を買って帰りました・・・(^^;
取り敢えず出来上がりましたが、当初は確かに文章が回りくどく自分でも腹が立つほどで、恥を忍んで親しい代理店でプレゼン練習を行わせていただいたことを思い出しますが、その時もかなりキツイ突っ込みが入りめげそうになりました。
でも、そのお蔭で何とかプレゼン書類は完成したのですが、現在の私を知る皆様からは「ウソこけ!」とおっしゃる方が殆どだと思いますが、当時の私は大勢の人前で話をすることは、滅茶苦茶苦手だったのです。それが証拠にHEROさんの催しで、数人の若い創業者が壇上にパネラーとして上げられて、司会者から質問をされるのですが、そのとき本当に息は詰まるわ、足は震えるわで、思わず司会者から「吉田さん大丈夫ですか?」と聞かれたくらいでした。「大丈夫なわけないやろ~!」と心の中で叫びつつ、「は、はい!」と言葉にならない返事を返すのがやっとでした。
しかし、そんな私にも容赦なくプレゼンの日は近づいてきており、その2週間前から緊張で浅い睡眠しか取れなくなっていましたが、ここでも妙なツキを持ってる私は、プレゼン開始直前に一気にその緊張を解きほぐす事件が起こったのです。
私が15時からプレゼン開始で、息苦しいほどドキドキしているところに、ようやく順番が回ってきたのですが、15時5分前になると、いきなり大勢の人数の人たちが、潮が引くようにプレゼン会場から出ていくではありませんか!いまなら、「何で出ていくん!ちょっと待って~な!」と思うところでしょうが、その時は、「よっしゃー人が少なくなって助かった~!」と喜んでしまったのです。
そうです。2002年5月か6月某日の午後3時、サッカーのFIFAワールドカップ日本・韓国開催の歴史的キックオフの時間と被っていたのです!
それがきっかけで、極度の緊張も解けて無事にプレゼンをやり終えることができました。
そのプレゼンを聞いて、声を掛けてくださったのが、後に1,800万円の株式投資と2,000万円の協調融資を行ってくださった、ひょうご活性化センターの投資担当の方で、それをきっかけに、神戸市産業振興財団からも支援を受けて、アイエンスが企業として活動できるようになりました。

脱臭装置
スラッジイーター, 排ガス処理システム